錦灘酒造株式会社
河内菌白麹の発見者、
近代焼酎の父である河内源一郎から
匠の技を受け継ぎ三代目の鹿児島老舗焼酎メーカー
焼酎を中心とした鹿児島の文化と、チェコのピルスナービール文化を融合させた 鹿児島空港至近のテーマパーク
河内菌白麹の発見者、
近代焼酎の父である河内源一郎から
匠の技を受け継ぎ三代目の鹿児島老舗焼酎メーカー
赴任後間もない年の秋、県内のある焼酎工場を視察したとき「今年は残暑が厳しく、せっかく作った焼酎が腐り歩留まりが悪いうえ、味も良くない」との相談を受けた。
それまでの源一郎は主として醤油製造に力を入れていたが、このときから焼酎製造に目を向けるようになる。そこで考えついたのが暖かいところで年中作られている沖縄の泡盛であった。早速種麹を取りよせ、本格的な研究を始めた。26歳のときであった。
~当時の焼酎製造は“醪とり焼酎づくり”といわれ、清酒と同じ黄麹を米に加え発酵させてモトをつくり、これを甘藷(かんしょ、サツマイモのこと)に仕込んで本発酵させて醪をつくり、これを蒸留器にかけて出た原酒に水を加え、焼酎として市中に出していたのである。~
泡盛の種麹は黒麹で、それまでの黄麹とはだいぶ性質が異なっていた。源一郎は毎日顕微鏡にかじりつき、試験管やピンセットを手に研究を続けたが、相手はカビである、絶えず増殖し続けるため一瞬の油断も許されないうえ、温度・湿度が大きく作用するため、この頃には麹菌の入った培養基を肌身はなさず持ち歩くようになっていた。
~このことは源一郎の死まで続き、大正5年(1914年)1月岡山県笠岡から嫁いできた貞代(昭和46年2月、86歳で没)は、いつも麹菌の入った培養基を持っている夫にびっくりしたという。~
明治43年(1910年)、泡盛菌から醪とり焼酎に適した種麹菌の分離に成功、これには泡盛黒麹菌=学名アスペルギルス・アワモリ・ヴァル・カワチ=と名づけられた。この麹菌は黄麹の欠点とされた腐敗が極端に少なく、これによる焼酎の収得率は大いに改良向上した。この後も麹菌の研究はさらに続けられた。
河内源一郎商店グループ
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